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2016年11月26日土曜日

読了メモ「水声」川上弘美


読了。

小説が読みたくなったので棚から引き抜いた一冊。

ちょうど主人公の二人は自分とたまたま同世代だった。
過去の回想シーンで引き合いになる事件・事故は、
実際に自分も目にしているせいもあって
妙な生々しさを話の中に醸し出している。
日航機123便墜落事故、チェルノブイリ原発事故、
昭和天皇崩御、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件。

テーマはきっと家族なんだと思うけれど、
昔の話ができるのは、その時一緒にいたからだということで
血の繋がりとか、家系とかはあまり関係ないようだ。
たとえ、両親同士がただならぬ関係であっても、
二人のいない今、親しい関係が築けているのであれば、
長いこと家族として生活していた家に再び一緒に住まうことは、
彼らにとって自然なことなのでしょう。

文章がとてもふわふわしているというか、
中空を漂うような定まらない感じを最後まで受けるけれど、
書かれている話はグロテスクな内容だ。
特に亡くなった母親を回想するシーンで
突き放したり、あるいは刺しこむような言葉を子どもに投げる母親が怖い。
また、それを傍らで飄々と見ている父親も。

最後までどこかがずれていると違和感が続く話。
本文中にはこんなことが書いてあった。

  生きているもの同士が、南京錠や鍵の凹凸のように
  きっちりとはまりあうことは、ない。

南京錠は、時計がたくさんある部屋をがっちりと施錠している。
必要な時以外、容易に開けることはできないのだけれど
最後は大きな音とともに瓦解してしまう。

何かが歪んだままでいると
いつかはその歪みを解消しようとする力が
はたらくのでしょうか。

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水声
川上弘美
文藝春秋 2014年


2016年11月19日土曜日

読了メモ「カリコリせんとや生まれけむ」会田 誠



読了。

実は文庫本でも持っていたのに、
あとから古本屋で単行本を見つけてしまって、
そっちも買ってしまったものの一つ。

以前、「青春と変態」を読んでいたので、
この本もなかばワクワクして読み始めたのですけどそうでもない。
むしろ、作品の生みの苦しみだとか、つけたタイトルの意味だとか、
美術を生業としようとしている学生や若い人たちに向かっての
メッセージなどが盛られている。
失礼ながら、真面目で含みのある話が多い。
浅田 彰の名前を使った作品タイトルの意味を解説したところは、
しっかりと考えられているんだなぁと感心しきり。
一歩間違えば屁理屈かもしれないけれど、
発表する作品につけるタイトルの重みというものを感じます。


美術から離れて子育ての話もある。
「学校は従うところなんだよね」と言い出す著者の子ども。
そんな対応に困る子どもは傍に除けるような考え方が、
市井の人々一般にごくごく普通にまかり通っていることについて
自分自身の子ども時代も振り返って述べています。
いわゆる他と違った子どもだった自分をそのまま放置してくれたおかげで、
今の自分があり、当時の学校や親に感謝していると。
現代美術家として生きている今だからそう言える話なのでしょう。
学校や園に、ちょっと尖った子どもがいたりすると
今の社会はどう反応するんでしょうか。
その子はどうなってしまうんだろうかなどと
余計なことを考えてしまいます。


中島みゆきの歌詞についての話では
ポジティブソングとして「はじめまして」が出てきたので、
CDをレンタルしてきて聴いてます。
たまたま、年明けに中島みゆきのライブの模様が
映画館で公開されるという情報も得たのでそっちも楽しみ。

オタクっぽくて、それこそ変態な話もあります。
ガンダムを無視した話とか、大場久美子の話とか。
でも、これらの話って、自分にも覚えがあるなぁなんて。。。

装丁のスクール水着の女の子は、本文中に挿絵としても出てきます。
あわせてお楽しみください。

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カリコリせんとや生まれけむ
会田 誠
幻冬社 2010年





2016年11月13日日曜日

読了メモ「村上春樹にご用心」内田 樹



読了。

内田先生の村上春樹について書かれたブログや
雑誌に掲載されたエッセイのアンソロジー。
体系的に整えられた堅い評論ではないので
内田先生の本って読むの難しそうだなという方も
気軽に読めるのではないかと思います。
内田節はもちろん炸裂してますので、
それはそれで存分に楽しめます。

いくつかの話を通じて、一貫して言っているのが、
なぜある種の批評家たちは
村上春樹にこれほどまでに深い憎しみを向けるのか。
というトピック。
自分もこの本を読んで初めて知ったのですけど
ある著名な方などは、「村上春樹など読むな」とまで言ったとか。
せめて、私は読むに値しないとそう思うのだから、
騙されたつもりで貴方も一度読んでみてごらんなさい。
私の言うことがわかるから。
というのが、文壇から出すコメントとしては本筋ではないか
という指摘は至極ご尤もですね。

ただ、この話を読んだ時に、ふと、自分もネタ違いこそあれ、
似たようなことをしていないかと思い巡らしてしまう。
食わず嫌い、見て見ぬ振り、先入観、思い込み。。。
思い当たるところありますね、あります。
最初になんらかの強烈な印象が刷り込まれてしまうと
なかなかそのメモリーを書き換えることが
難しくなってきている昨今は、特に意識しておかないといけません。

村上春樹の作品は、はじめから翻訳されることを想定しているので
外国語に翻訳されたものをあらためて和訳しても
大きな違いがないという話も驚きです。
内田先生はそれを実例で示してくれています。
外国語のできる方はそんな読み方もできるんですね、いいなぁ。

表紙カバーに載っている小さいイラストの
雪かき仕事の解説もでてきますよ。
宇宙論的仕事観とか言って、そんなに難しい言い方でなくとも
よっしゃ働くか!っていう気持ちになることの尊さを
かの作品を通じて読めるんだと諭しています。

などとこういう指摘がいろいろ出てくるので
まだ読んでいないのはもちろん読みたくなるし、
読んだものももう一度読み直してみたくなる
ということになっちゃうのです。

さらに、この本にも続編があります。
すでに積ん読の中にあるわけでそれはまたいつか。

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村上春樹にご用心
内田 樹
アルテスパブリッシング 2007年




2016年11月7日月曜日

読了メモ「現代日本語文法入門」小池清治


 
読了。

中学校で習った時以来だろうか。。。

おそらく多くの人がそうであるように、
文法を習ったからと言って、何か特別なことがあったわけでもない。
空気のように日本語を使っているし、
そもそも、文法を習わずとも学校に入る前から
日本語を巧みに使っているではないか。

文法って一体だれのためにあるのだろう?
本書にもあったが、それは、その言語を母語に持たない人が学ぶためのものであり、
さらにそれが異教徒への伝導などにつながっていくのだという。
ひらたく言えば、外国人のためにあるというのだ。

しかしながら、本書を読んで更にその意をあらたにしたのは、
やっぱり日本語って難しいです。ほんとうに難しい。
それを外国人が学ぶというのだから頭が下がる。
逆を言えば、こんなにも難しい言語を自在に操れるということは、
地球上のあまたある言語の中で日本語を喋り書くことができるということは、
極めて稀有なことなのではないでしょうか。
日本文化は、「察しの文化」、「言わぬが花」、
全てを言い切ってしまっては味わいに欠けるので、
極力、言語化しないのをよしとすると文法の本に書かれている言語です。
他の言語の奥深さをよくわかっていないので井の中の蛙的な見方ですが
今になってこういう本を読んでみると大変なことなんだなと思うことしきりです。

 
懐かしいサ行変格活用やら上一段活用やらもでてきます。
文節をどう区切るかも、諸説あることも初めて知りました。
イントネーションの大切さも言われてみれば首肯する話でした。
けれど、やっぱり難しい。
とくに動詞や形容詞の活用やら、修飾語や助詞、助動詞にいたるまで
その使い方によってことこまかく名前がついているわけで
これを理解把握するだけで白髪になりそうです。
日本人の私がそう思うくらいですから、
これを勉強する外国人って本当にすごいと思います。

各章や各節のはじめには例題があり、終わりには演習問題までついています。
なに問題の答えが解答通りでなくたってかまいやしません。
四角四面なことを言うつもりは自分にはありません。
なるほど、そう言われればそうだよねでいいのです。
私たちはとっくに日本語を使えるのですから。

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現代日本語文法入門
小池清治
岩波書店 1997年

2016年11月2日水曜日

読了メモ「街の人生」岸 政彦



読了。

世でマイノリティと言われる人たちへのインタビュー集。
日系南米人のゲイ、ニューハーフ、摂食障害者、
シングルマザーの風俗嬢、そして元ホームレス。

彼らひとりひとりに確かな人生があるわけで、
インタビューを通じて著者の言う「人生の断片」というものを垣間見て、
それはどこのだれもが持っている普通のものであるけれど、
その人固有の唯一無二のものなのです。
読んでみて、貴重な体験をさせてもらえたなと言える一冊です。

ただ、マジョリティとの確執はどうも埋めようがないのも現実。
もちろん本人にとっては、いたって普通だしあたりまえだし、
いわんや病気だなんてとんでもないことなのです。
しかしながら、相手がたとえ親族であっても、兄弟であっても
拒絶されたらいやだなという思いが心の底に常にある。

一方で両方の気持ちがわかる、どっちの立場も理解できるという話も面白い。
そもそも人間は両面を持っていて相互に理解できる素性があるのに、
いつのまにか型や枠にはまって思考の道が一本道になってしまっている。
彼らはいわば複眼的に社会を見据えやすい立場にいるのではないでしょうか。
明暗、高低、表裏、左右、上下、真偽、内外、大小、男女、貧富。。。

最後、元ホームレスの西成のおっちゃんの言葉が響きます。
凄まじいくらいのホームレス度合いの話を聞いたあとなのでなおのことです。
 
 やっぱね、人ってね人間ってね、一人では絶対に生きていけん。
 少しでも人と話をしたりするのがやっぱり、長生きの秘訣。
  〜 中略 〜 
 ああじゃこうじゃ言ってな、たまには喧嘩もしたり、
 人間感情があるからね、YESマンじゃないから(笑)
 
なんだかとても豊かな気持ちになれたのでした。

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街の人生
岸 政彦
勁草書房 2014年